14日夜の夜行バスに乗って娘と旅行にでかけました。

夜行バス、古くはスキー場に行くため何回か夜行バスを利用したものでした。

当時、20代の頃は遊びたい盛りでしたから、身体がどうのということはまったくありませんでした。

でも、50代を過ぎると…。辛かったです。首が痛いし、寒くって。

結構服は持って行ったのだけどそれでも寒くって、もう無理です。

私の旅行計画の中で夜行バスを使う選択肢はありません。

 

で、どこに行ったかというと、草津でバスおりて、JRで長浜に行って、徒歩で神社を経由して長浜城をみて、タクシーに乗って小谷城跡をみるべく、シャトルバスのでているところまで、そこからシャトルバスで小谷山を少しに上り、下車して1時間ほど山を上り下りして小谷城跡を見て回りました。

 

小谷城は、浅井長政の居城。浅井家が滅んだ後は、豊臣秀吉によって壊されたので当時からいろいろなものが無くなっていたようだけれど、さらに月日が経ち自然によって鬱蒼とした山に返ってしまったので、ここに城があったというのはイメージするのは相当な想像力を必要とします。

 

それと、こんな山の上からよく麓の土地を支配していたなと。どういったからくりだったのでしょう。って、浅井家に限らず当時は山城が多かったみたいだから、普通だったのでしょう。馬に乗れば結構行き来は楽だったのかな?それと昔の人は足腰が丈夫で、脚力があったから行き来は辛くなかったのかな?

いやいやそれにしても大変だったと思うけど。

山は、腐葉土に覆われ、草木が茂り、ジメジメするし、道はあっても進みづらいし、こんなところを旅したり、野宿したりするのはいやだなあ。

 

で、ここから思いっきり話がずれるのだけれど、先月まで「どろろ」を見ていたので、まあ彼らはこんな山や農村を旅してたんだなと思ったわけですよ。

浅井家は朝倉家と同盟を結ぶわけで、その朝倉家とかつて戦ってたのが醍醐家って、あっここはあくまでのもお話ですが、室町から戦国、乱世を生きるのって嫌だなとつくづく思います。

どろろ」のその後がどんなかと、妄想されている方もいらっしゃるようですが、私にはよい想像は浮かびません。乱世ですから。なので妄想できるはずもなく、最終回で行き止まりです。どろろは、行き止まりの作品なのです。それでいいと思います。

 

で、小谷城跡に続いて資料館をみて、河毛という駅にいって長政とお市にの像をみて、小谷のリンゴジャムを購入。ここまで徒歩です。疲れました。地元の人は歩いちゃいない。駅で幸いタクシーが1台止まっていたので、長浜駅に向かいました。

この長浜の旅では、いろいろと史跡をまわりましたが、そのいずれでも地元のボランティアの方が歴史を語ってくれました。ジャムを買ったところでも語ってくれました。地元の歴史に誇りと愛情を持ってらっしゃるのだなと感心しました。皆さん説明ありがとうございます。

 

長浜から次に京都に向かったのですが、その話はまた今度。